ご近所散歩 立本寺さんが面白い!

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               ご近所散歩 立本寺さんが面白い!

 

犬の散歩でよく通る京都市上京区七本松仁和寺街道角にある立本寺(りゅうほんじ)さん。
桜がきれいで有名なお寺なのですが、このお寺の境内ではなくお寺裏の道(相合図子通)をまたいでお墓があります。
ここのお墓に眠っているのが島左近。NHK大河ドラマ『真田丸』でも有名ですが、今、公開されてる映画『関ケ原』で平幹二朗さんと佐久間良子の間に生まれた平岳大(ひらたけひろ)さんがこの島左近役を演じておられます。一般的には関ケ原で東軍の鉄砲隊の前に倒れたとされているのですが、これも定かではなく所説いろいろあります。合戦後京都にに逃げ延びこの寺で僧侶として余生を過ごしたという記録が位牌や過去帳が塔頭に残され、寛永9年6月26日没などと記されていることがその根拠となっているそうです。墓所にはわかりやすい案内石碑が立っており、ご興味ある方は一度行ってみてください。
 
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そしてもう一人!この墓所に眠る人物が、灰屋紹益(はいやじょうえき)というお方なんです。
 

このお方本名は佐野さんっていうらしいのですが、その時代京都では有名な江戸時代の豪商だったんです。

なぜ灰屋と言うかは、 灰を扱って財を成したので別名「灰屋紹益」と言い、昨年京都では琳派で再注目された本阿弥光悦の甥の子どもでもあります。
当時「灰」は染料に欠かせない材料で江戸時代は紅花から染める赤系の染師、紫、茶、紺それぞれ各4色ごとに染師という仕事が成立しておりました。特に紫や紺色の染めは技能が必要とされ、灰にも櫟、橡、藁、椿などの種類があり、染める色によって使いわけされてました。染めに使用する灰は大量に必要とされ、陶磁器の釉薬(ゆうやく)にも使われました。その他お酒業界でも使われてたのですが、ちょっと面白い実話がありまして、当時濁り酒が当たり前の時代、とある酒造屋の素行の悪い丁稚が叱られその腹いせに酒樽に灰を投げ込んだところ、濁ったお酒が透明になったというのは本当の話でここからあの無色透明の清酒が誕生し、醸造にもかなりの灰が使われ、灰屋業は豪商と言われるくらいの商いだった事がわかります。

しかし、この灰屋紹益、粋な男で仕事はそっちのけで
和歌、茶道、書道などに凝りだし、それも単なる遊びで楽しんだわけではなく、和歌を烏丸光広、俳諧を松永貞徳、蹴鞠を飛鳥井雅章、茶の湯を千道安(千利休の長男)、書を本阿弥光悦、という具合に当時一流の人物から本格的に学ぶという徹底ぶりで、蹴鞠に関しては二条城で三代将軍 徳川家光に披露したほど、商人ながら名の知られた知識人でもありました。

交友関係も広く、お話も上手で女性にもてたんでしょうね(^^)当時の島原の遊女、いわゆる大夫さん吉野大夫を関白・近衛信尋(後水尾天皇の実弟)と争って1300両(約1億3千万円)で身請けし、娶(めと)ったとされています。皇族からおなごを奪う豪商&文化人!
現代社会では考えられない想像するだけですごい人ですよね。

一般庶民も灰屋紹益のことは有名で後にこの話は井原西鶴の『好色一代男』の主人公、世之介のモデルともいわれています。
しかし、美人薄命というか若くして吉野大夫は亡くなり、かなりのショックだったようでこんな句を詠んでいます。

「都をば花なき里になしにけり 吉野は死出の山にうつして」

吉野大夫も当然ながら有名で現在は鷹峯の常照寺にお墓があることでも知られています。

灰屋紹益 なかなかの男の巻きでした。 (2017.8.27)
 

 
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